Daichi Yamamoto(ダイチヤマモト)は、京都府出身のラッパーです。
ロンドンの芸術大学に留学経験もあり、ラップだけでなくアート作品にも興味のある人物です。
在学中にSoundCloud上で発表した楽曲が業界内で話題となり、インタビューや取材を受けたことで更に注目を浴びました。
今回は、そんなDaichi Yamamotoについて
・Daichi Yamamotoとは?
・Daichi Yamamotoのラップスタイル
・Daichi Yamamotoと仲の良いラッパー
・Daichi Yamamotoのおすすめ曲
を中心にご紹介いたします!
Daichi Yamamotoとは?
アーティスト名 | Daichi Yamamoto(ダイチヤマモト) |
本名 | 山本大地(やまもとだいち) |
年齢 | 29歳(1993年3月14日) |
身長 | 一 |
血液型 | 一 |
高校 | 一 |
出身地 | 京都府 |
レーベル | Jazzy Sport |
公式サイト | 一 |
Daichi Yamamotoは、ジャマイカの母と、老舗クラブのオーナーである日本人の父の間に生まれました。
小さい頃は絵描きか漫画家になりたいという夢があり、音楽は聴くだけだったといいます。
高校時代に兄の影響でラップを聴き始めましたが、ギャングスタラップのリリックに衝撃を受け、
自分には合わないな
と思っていましたが、ある日ジャズミュージックを聴いた際にラップの多様性を感じ、自身もラップを始めました。
その後、イギリス・ロンドンの芸術大学に留学し、アートを学びながら楽曲制作を続け、帰国後にKOJOEを含む様々なアーティストとコラボして話題を呼びます。
2019年にはファーストアルバム「Andless」を発表し、大きな反響を受けました。
Daichi Yamamotoが通っていた大学
Daichi Yamamotoは、2012年から3年ほどロンドン芸術大学に留学していました。
京都の芸術大学に行きたかったのですが、日本では2回試験に落ちてしまい、父親の勧めで海外の大学に入学することを決めました。
イギリスとオランダの大学に願書を出して、タイミングが良かったのがイギリスの大学だった
大学ではインタラクティブアートを専攻していました。
Daichi Yamamotoの父親は老舗クラブのオーナー
Daichi Yamamotoの父親は、ニック山本という名前で活動していて、クラブ「京都METRO」のオーナーです。
京都の神宮丸太町にあり、2020年に30周年を迎えた老舗クラブで日本最古のクラブとしても有名です。
小さい頃からクラブに連れ回されていた彼は、クラブがあまり好きではなく、
眠いし、うるさいし、煙草臭い....
と語っており、あまりクラブに良いイメージがなかったといいます。
大人になるにつれてクラブに慣れてきた
Daichi YamamotoはJazzy Sportの店長
Jazzy Sport(ジャジースポート)とは、「リアルミュージックとスポーツの融合」をコンセプトにレーベル/プロダクションとして活動する団体です。
ショップ自体も全国にあり、Daichi YamamotoはJazzy Sport京都店の店長を務めています。
彼がこの店で働くようになったきっかけは、ロンドンから帰国後、京都にJazzy Sportのお店が立ち上がるから手伝わないかと誘われたのがきっかけです。
Daichi Yamamotoのファッション
Daichi Yamamotoのファッションスタイルは、シャツやパーカーなどシンプルなストリートスタイルが特徴的です。
ファッションスタイルにはあまりこだわりがない
と語っていますが、シンプルで洗練されたファッションは彼のセンスを感じられます。
また、彼が店長を務めているブランド、Jazzy Sportのアパレルブランドも上手く着こなしています。
Daichi Yamamotoの髪型
Daichi Yamamotoの髪型は派手なドレッドヘアーが特徴的です。
ドレッドを後ろで結んでいることが多く、サイドはフェードでぐるっと刈り上げていて、スタイリッシュなシルエットがクールですね。
ドレッドヘアーにキャップやニット帽をかぶっていることも多く、かなりHIP HOPなスタイルが彼の髪型の特徴です。
Daichi Yamamotoのラップスタイル
・日本語と英語を巧みに操るリリック
・自由自在で安定感のあるフロウ
Daichi Yamamotoのラップスタイルは、他の日本語ラッパーとは違い、英語と日本語を巧みに使い分けることで差別化をはかっています。
また、リズム感や安定感のあるフロウが特徴的で、フリージャズを聴いているかのような楽曲が印象的です。
Daichi Yamamotoがラップを始めたきっかけ
Daichi Yamamotoは、19歳の頃からラップを始めました。
始めた経緯は、もともとShingo02が好きで彼の活動をずっと追いかけていて、アルバムも全部聴き、父親が経営するクラブでShingo02がライブする時も通っていました。
その影響もあり、19歳のころに自分でもラップをしてみようと思い立ち、そこからビートメイクやラップをやり始めました。
ちなみに最初に作ったラップに関して彼は、
めちゃくちゃダサい。英語もサブイボが立つようなワードチョイスだし、日本語もダジャレにしか聴こえない。
と語っており、苦笑いしています。
イギリスに留学していたDaichi Yamamoto
Daichi Yamamotoは、イギリス・ロンドンにあるロンドン芸術大学に留学していました。
留学時代はとにかくお金がなかったと語っています。
彼が一番カルチャーショックを受けたのは、イギリスの独特なパーティーカルチャーでした。
廃墟を占拠して行われたパーティに参加してみたら、「UK GarageをBGMに奥で謎のジャマイカ人が料理を振る舞っていた」というまるで映画のような出来事に衝撃を受ける日々だったと語っています。
そういったイギリスでの刺激が、彼の創作活動をより豊かにしています。
日本に帰国した後は、反動で3.4ヶ月(精神的に)落ちていた
と語っています。
Daichi Yamamotoはイギリスのラーメン屋でバイトをしていた
Daichi Yamamotoはイギリスに留学中、ラーメン屋でバイトをしていました。
そこのお店ではBGMに日本の曲しかかけてはいけないというルールがあり、シフトに入っている時はずっとJJJやOlive Oilの楽曲をかけていました。
ラーメン屋に来たHIP HOP好きのお客さんからは「君のかけている曲はイケてるよ!」と好評でした。
のちに彼はJJJと共演し、Olive Oilからは「好きなラッパー」といわれています。
Daichi Yamamotoと仲の良いラッパー
・Ren Yokoi
・鎮座DOPENESS
・JJJ
・Vava
・KOJOE
Daichi Yamamotoは、帰国後にJazzy Sportに所属し、様々なアーティストとコラボし交友関係を築いています。
イギリス留学時代からリスペクトしていたJJJとも共演を果たし、飛躍を続けています。
Zeebraの息子であるRen Yokoiとは、彼がDaichi Yamamotoと話してみたい!と願ったことがきっかけで実現し、親交を深めています。
また、レッドブルミュージックへの出演も含め、さまざまなラッパーのコラボに誘われ愛されるラッパーだということが分かります。
Daichi Yamamotoのおすすめ曲
Daichi Yamamoto - 上海バンド
Daichi Yamamotoの代表曲でもある、2019年に発表されたアルバム「Andless」に収録された一曲。
この曲を制作したことで、曲の作り方の幅が広がったと話しています。
唯一の救いだった音楽でさえ
能動的に 歩くスピード合わせる
BPM 給料日のあと Drinkingして
嘘ついて フリしてる 浮ついた心 無理してる
Daichi Yamamoto " Let It Be Feat. Kid Fresino "
こちらもアルバム「Andless」に収録されている一曲。
トラックもシンプルばリリックもカッコよく、聴く人を魅了する楽曲です。
Daichi Yamamoto - She II Feat. jjj
Daichi Yamamotoの憧れのラッパーJJJとフィーチャリング曲「She feat.JJJ」。
SoundCloud上でリリースし、話題になりました。
Daichi Yamamotoとは?:まとめ
イギリスでの留学経験をもとに今では国内外から注目されるラッパーとなったDaichi Yamamoto。
音楽だけでなく、彼の芸術やファッション、生き方にも目が離せません。
気になった方はぜひチェックしてみてください!
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