日本語ラップ黎明期の90年代から現在に至るまで、常に前進し最前線で活躍し続けるラッパーMACCHO。
数々の客演や精力的なライブ活動に音源のリリースなど、フレッシュさを失わないヒップホップなスタンスも注目を集めています。
今回は、そんなMACCHOについて
・MACCHOとは?
・OZROSAURUS(オジロザウルス)とは?
・MACCHOと仲のいいラッパー
・MACCHOのおすすめ曲
を中心にご紹介いたします!
MACCHOとは?
アーティスト名 | MACCHO(マッチョ) |
本名 | 鈴木 麻超(すずき まさあき) |
年齢 | 43歳(1978年4月8日生まれ) |
身長 | 168cm |
血液型 | 一 |
学歴 | 武相高校中退 |
出身地 | 横浜市磯子区 |
レーベル | 一 |
事務所 | 一 |
公式サイト | https://ozrosaurus.amebaownd.com/ |
MACCHOは1978年4月8日に横浜市磯子区で生まれました。
小さい頃に横浜市南区六ツ川に引っ越しています。
中学校時代の14歳の頃にラップを始め、武相高校に入学するも中退します。
高校時代から雑誌で取り上げられるほど、すでにラッパーとして注目を集めていました。
MACCHOは結婚している?
MACCHOは結婚・彼女について公式では一切発表していません。
また、目撃情報も極端に少なく、信憑性の低い噂が多いです。
ですがインタビューやライブで左手の薬指に指輪をはめているのを度々確認できていることから、MACCHOの年齢も考えて、結婚している可能性は十分にあります。
MACCHOはハーフ?
MACCHOは日本人離れした顔つきと体格から「ハーフではないか?」と噂されることが多々あります。
しかし、MACCHO自身が日本人の両親から生まれたことを公言しているため、ハーフではありません。
生まれも育ちも日本、両親も日本人という純粋な日本人です。
MACCHOのバイクでの事故について
MACCHOはOZROSAURUSのアルバム「Rhyme&Blues」のリリース前の2008年に、バイクで事故を起こしています。
かなり大きな事故で、事故直後は死亡説などの噂も流れるほどでした。
MACCHO自身、生死を彷徨いましたが、奇跡の生還を果たしています。
それどころか完治していないのにも関わらず、杖をついてライブをするなど、OZROSAURUSの「生きる」ことをテーマにした代表曲「The Phoenix」に例え、「Phoenix=不死鳥」のように復活しました。
この事故以来、MACCHOは、
大人になった気がする。責任感が増してきている。
と語っており、音楽面でも大きく進化しています。
MACCHOのファッション
・FUN
・ASSASSYN JEANZ
・横浜ベイターズ
MACCHOのデビュー当時のファッションは、いわゆるウェッサイ、ローライダーファッションが特徴的でしたが、徐々にサイジングもスリムなストリートファッションに移行しています。
愛用ブランドは横浜発のLafayette、ALLY&DIAなども愛用しており、音楽だけでなくファッションでも横浜をレペゼンする姿勢を強く見せています。
MACCHOは自身でもブランドのプロデュースをしており、彼のファッションスタイルの憧れるヘッズも少なくありません。
MACCHOのタトゥー
1. 左腕・・・神のみ知る
2. 右腕・・・行く我道
MACCHOは両腕にびっしりとタトゥーが入っています。
このタトゥーはMACCHOのシンボルであり、自らがプロデュースするブランドVANTAGEのデザインとしても使用されたことがあります。
タトゥーの意味についてはMACCHO自身が公言したことはありませんが、常に新しいものを求めて突き進むスタイルを表した言葉といえます。
MACCHOがラップを始めたきっかけ
MACCHOは当時としてはかなり珍しく、中学生時代の14歳の頃にラップを始めています。
横浜を代表するDS455のメンバーと出会い、一緒に遊んだり、DS455のメンバーが経営する服屋に頻繁に遊びに行っていたことがきっかけで、自然とラップを始めました。
ウェッサイサウンドに大きく影響を受け、ラップを始めたばかりの頃はMACCHOの代名詞であるダミ声はなく、ナチュラルなラップでした。
MACCHOのデビューまでの道のり
1992年の14歳の頃にマイクを握る
ラップを始めてすぐの1992年頃にDS455に加入する
1995年11月1日にリリースされたコンピレーション「CLUB WILD.B」にMC MACCHO名義で参加
1996年にDJ TOMOと共にOZROSAURUSを結成
1997年1月25日にシングル「ライムダーツ」でメジャーデビュー
OZROSAURUS(オジロザウルス)とは?
OZROSAURUSという名前は、オセロ、おじろ鷲という意味の「OZRO」に様々な単語を組み合わせた造語「SAURUS」を足したことに由来します。
何度かメンバーチェンジを経て、2015年からはバンド編成となりました。
1996年にMACCHO、DJ TOMOの1MC1DJでOZROSAURUSを結成
1997年1月25日にシングル「ライムダーツ」でメジャーデビュー
2003年にMACCHOがバイク事故に遭い、生死を彷徨うも奇跡の生還を果たす
2004年に方向性の違いでDJ TOMOが脱退し、OZROSAURUSはMACCHOのソロユニットとなる
2011年にDJ SN-Zが正式加入
ベースの武史(山嵐)、ドラムスのBunta(TOTALFAT)、ギターのYD(Crystal Lake)、トラックメーカーのGUNHEAD(HABANERO POSSE)が加入し、バンド編成となる
OZROSAURUSの楽曲はアメリカ西海岸のローライダースタイル
OZROSAURUSの楽曲は、アメリカ西海岸のローライダースタイル、いわゆるウェッサイサウンドが特徴的です。
結成初期はDS455直系といえる、ウェッサイのラグジュアリーなサウンドを用いた楽曲が多くありましたが、サードアルバム「Rhyme&Blues」以降は、ウェッサイサウンドは薄れ、無骨なビートの楽曲が増えています。
また横浜市の市外局番である「045」を前面に押し出していて、後に「045スタイル」と呼ばれるスタイルを確立しています。
MACCHOも影響を受けたDS455とは?
DS455はMCのKayzabroとDJ PMXによって1989年に結成された、日本におけるアメリカ西海岸のカルチャーに影響を受けたウェッサイのパイオニア的存在です。
MACCHOもDS455には大きな影響を受けており、ラップを始めた14歳の頃から数年間在籍し、脱退後も頻繁に客演で共演しています。
音楽面のみならず「横浜をレペゼンする」というスタイルも共通していて、MACCHOを語る上で欠かせない存在となっています。
DS455は2018年12月29日をもって活動を休止しています
MACCHOと仲のいいラッパー
MACCHOはレペゼンしている横浜を中心に様々なラッパーと交流があります。
特に仲が良いのは同級生で、お互いにリスペクトし合うライバルである般若です。
MACCHO,NORIKIYO,般若&DABOの「BEATS&RHYME」や般若の「ジレンマ feat.MACCHO」を始め、数々の楽曲での共演やSNSでも仲の良い姿が度々アップされています。
お互いに「孤高の存在」とまで比喩されるラッパーですが、だからこそ分かり合える部分も多く、HIP HOP黎明期から日本語ラップを盛り上げてきた絆があります。
MOCCHOとTOKONA-Xの関係
MACCHOと名古屋の伝説のラッパーTOKONA-Xは、切っても切れない関係にあります。
MACCHOとTOKONA-Xは同じ1987年生まれの同い年ということに加え、実はふたりとも南区六ツ川育ちでもあります。
TOKONA-Xは小学校卒業まで南区六ツ川で生活をしており、MACCHOとは隣町という近い距離にいました。
MACCHOは隣町に本名の竜一から「リュウ」と呼ばれるTOKONA-Xの存在を知っていて、お互いにラッパーとして活動するようになり再会、そしてマイメンと呼べる関係へとなります。
ふたりの幼少期についてTOKONA-Xのクラシック「Where's My Hood At ? 」で語っています
MACCHOのおすすめ曲
AREA AREA / OZROSAURUS
2019年に公開された言わずとしれたクラシック。
YouTubeの再生回数は700万回を超え、人気の一曲となっています。
WHOOO / OZROSAURUS
2012年に公開された楽曲でMACCHOとDJ TOMOの全盛期といっていいほどに渋い一曲。
ZORN / Rep feat. MACCHO
ZORNが客演にMACCHOを迎えた楽曲。
YouTubeでは再生回数500万回を超えており、人気の楽曲となっています。
MACCHOとは?:まとめ
日本語ラップ黎明期の90年代から現在まで、常に前進し最前線で活躍し続けるラッパーMACCHO。
新たなメンバー編成となって結成されたOZROSAURUSでの活躍もますます期待ができそうです。
気になった方はぜひチェックしてみてください!
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